すいません
2006 / 12 / 28 ( Thu ) ちょっと更新する余裕がなくなっております。
今年中に旅行記終わらせるつもりでしたが年越しそうです。 年内に5日目くらいまでは終わらせたいと思っております。 見に来ていただいている方ありがとうございます! ちなみにこれから旅行記を見ていただく場合、右下にある ‘ミャンマー’とか‘malaysia'をクリックしてから見て いただくといいかもしれません。 今年もあと3日(今日除いて)がんばりましょー。 |
マレーシア4日目<Part3>
2006 / 12 / 23 ( Sat ) コタバルの人は優しい、というエピソードを1つ。
センターを出て、隣にあるケランタン州立博物館に入ると スコールが。ラッキーです。 で博物館を出ると雨がやんでいます。これまたラッキー。 なんだか今日はついている気がしてきました。 ガイドブックに載っているGolden Cityという中華料理の店を 目指して歩くのですが、オールドマーケットをぐるぐる 歩くことになり、困ってしまいます。 タクシーの勧誘もされて(golden cityを)諦めようとして いると交番発見。 で、日本と同じ感覚で警官の方に聞いてみると ‘こんな暑い中歩くの大変でしょう。店は少し遠いし送って あげるから少し待ってなさい。’と言われ、少し座っていると、 警官‘じゃあ、行こうか。’と促されます。 で乗ったのはポリスカー。すでに2人の警官が乗っていて ‘どうしたんだ?’と最初の警官に聞きます。 で、彼が事情を話しちょっとしたドライブをすることに。 |
マレーシア4日目<Part2>
2006 / 12 / 23 ( Sat ) |
マレーシア4日目
2006 / 12 / 22 ( Fri ) マレーシアで一番思い出に残っている場所がコタバル。
この日記は長くなりそうです。(苦痛だったらごめんなさい) コタバルはタイとの国境近くにある街です。 コタキナバルと名前が似ていますが、違います。 ガイドブックなどを見ると‘マレーの伝統文化が残る東海岸の町’ とあります。マレーシアは西海岸にペナンなどのリゾート地が あり人気があるのですが、私は伝統的なものを写真に収めたいと 思っていたので、こちらを選びました。 電車で行った場合、最寄の駅はワカフバルになります。 下のチケットを見るとわかると思いますが、18時15分KL発 7時26分ワカフバル着となっています。 (写真をクリックすると大きくなります。) ![]() 6時を過ぎると皆動き出すので私も起床。 ワカフバルは最終駅ではないので、ちゃんと降りられるか心配。 アナウンスで‘次の駅はトゥンパット’と聞こえた気がして焦り ます。ワカフバル過ぎちゃったかと。 で、近くにいた女性(写真に写っている方です)にチケットを見せ つつ、聞いてみます。 ![]() その方は穏やかそうな笑顔を見せつつ、ワカフバルの文字に対して 首を振るので安心します。 後ほど、ワカフバルというアナウンスが聞こえたので安心して降り ました。 ![]() (電車の窓に注目!乗客の姿見れますよね。) |
マレーシア3日目
2006 / 12 / 21 ( Thu ) 朝起きるが調子が悪い。
前日のどが痛かったのだが、今度は鼻。 鼻かぜがひどく、起きる気力もない。 Sさんからメールと電話が来ていたにも関わらず遅く起きた ので気がつくのが遅れる。 仕事が急に入り、会う時間がほとんどないとのこと。 しかし預けたい荷物があったので、急いでSさんの最寄駅に タクシーで向かう。(電車で乗り継ぐ自信がなく) スタジオを見学させてもらい、会社の人たちとも挨拶をし、 (自分よりも若いと思われる人たちがほとんど!) Sさんお気に入りのコピ(コーヒーに練乳だったかな)を いただき、SさんとSさんのアシスタントLさんとKLセント ラルへ。 Sさん達は打ち合わせに行く為ここで別れる。 (ほんと無理をさせてすいませんでした!) |
マレーシア2日目
2006 / 12 / 21 ( Thu ) |
マレーシア1日目<Part2>
2006 / 12 / 20 ( Wed ) 1日目の続き。
KLセントラルに到着。しかしここからどう動けばいいかよく わからず。途方にくれる。 ガイドブックとホテルの駅名をにらめっこ。 モノレールのINBI駅に行くべく、人に尋ねながら向かう。 (ベールをかぶった女性にターゲットを決めて聞きました。 皆さん感じよかったです。的確に質問にも答えてくれました。) 重たいスーツケースを持っての移動が思ってたよりもきつく、 へとへとになりながらホテルへ。 時間にして17時少し前。 これから写真家のSさんと会う予定があったので急いで支度を する。正直かなり疲れてました。 |
マレーシア1日目
2006 / 12 / 20 ( Wed ) |
ミャンマー8日目<Part3>
2006 / 12 / 18 ( Mon ) 急遽予定を変更しての撮影について。
タクシーに乗り空港で15分ほど離れたところに連れていって もらう。 ここでは日本では見ないような派手な仏像や新築中の寝釈迦仏を 見ることができました。 ![]() そして、そこに向かう途中で気になった線路沿いにある村にも お願いして連れていってもらう。 予想通り、子供達がたくさんいる。(ちょうどこの日は土曜で、 学校が休みということもありました。) ここでもカメラを向ければ人が寄ってきます。 ![]() そして必ず行くことになっているのでしょう、怪しいお店に連れ ていかれました。 ![]() 皆が反応したのはさびついた二眼とかつての日本紙幣でした。 ![]() 私の持っているローライを置いてこの2眼達を買ってけば、という 無謀なアドバイスは聞かないふりをしました。 こうしてちょうどいい時間になったので空港に戻ることに。 (その前にドライバーさんの家によって家族写真を撮ったりもしま した。) 結局ヤンゴンでは金ぴかパゴダ(仏塔)を見ることはできません でしたが、これはこれで良かった気がします。 |
ミャンマー8日目<Part2>
2006 / 12 / 18 ( Mon ) 飛行機トラブルの続き。
故障した飛行機が直るのを待っていると、別の飛行機が空港に 到着する。お客の数名が並び始めるが、様子を見る。 で、何人か乗り始めるので(あの欧米人達も)Dr.T氏を先頭に 私達も乗ろうとするが、先ほどの係りの女性に止められる。 プレートをよく見ると、私達が乗る飛行機の便名とは異なって いた。そしてゲートは閉められた。 しかし、人数的に乗れそうなのに、と話していると不思議な事 に気がつく。あの欧米人達は確か私達と同じ便だったはず。 少なくとも‘1時間遅れるのを知っててチェックインするのか?’ と聞いてきた人は同じ便のはずだ。(彼も乗っていった。) どうやらクレームがきついから乗せたらしい。 というか、どうも私達は振り分けられて乗せてもらえなかった のでは、という気がしてくる。 あんなにへらへら笑ってたからだろうか、もっと強く言えば 良かったのか、という気になり少し凹む。 そういう状況がわかるにつれ、O野さんの表情が険しくなる。 ‘故障で遅れるのはしょうがないけど、嘘は良くない。’ 状況を確認しに、係員のところへ行く。 すると‘嘘を認めたので、説明させる。’とのこと。 この時他にも怒っている人が。Dr.Tだ。‘私はいらちですから’ とのこと。この二人が怒るとどうなるか。。。 |
ミャンマー8日目
2006 / 12 / 17 ( Sun ) いよいよミャンマー最後の日です。
実は朝荷物を積めていて問題が発生。 スーツケースに荷物が入りきらない。 まだ旅が私は残っているのでどうしようか、と思っていたが、 O嶋さんが持ち帰ってくれるという。 お言葉に甘えさせてもらうことに。 ヘイホー空港に到着する。 昨日カクー遺跡でお世話になったIちゃんとここでも出会う。 (彼女は欧米人のガイドをするために空港に来ることになって いたのだ) 昨日と違う普段着でした。大野さんは‘昨日の服の方がいいね’ と。私も同感。 飛行機が1時間遅延していると最初に言われるが、しょうがない と皆で話す。 そしてA女史とお別れする。 まさかその後あんなことになろうとは。。。 |
ミャンマー7日目<Part3>
2006 / 12 / 16 ( Sat ) タウンジーを出発し、カクー遺跡へ。
およそ2時間。私がバスで座ったのは一番後ろの席だった のだけど、道が悪く、跳ねること跳ねること。足でふんばら ないと飛びまくりでした。なので、皆さん寝ている中起きて おりました。 カクー遺跡に行くには現地ガイドを連れていかなくてはなり ません。その申請をある場所で行いました。 (パスポート番号など聞かれるようです。) で乗ってきたのはパオ族のIちゃん。とてもかわいいので、 ‘これはモデルになるな’と内心思っておりました。 Iちゃんはパオ族の伝統的な衣装を着ていたのですが、普段は その格好はしないとのことです。 タオル地のもので髪をくるみ、服は何層にもわかれたプリーツ 地のような衣装をまとっています。 パオ族はドラゴンの子孫と考えられており、服が何層にも 分かれているのは、龍のうろこを表している、とのこと。 ちなみに、A女史とパオ族のIちゃんは部族が違うので、言語が 違います。二人はたまたまビルマ語を勉強しているのでそれで 会話ができるらしいのですが、今回は英語でコミュニケーション をとっていました。ちなみにIちゃんは英語がかなり堪能でした。 |
ミャンマー7日目<Part2>
2006 / 12 / 16 ( Sat ) ホテルをチェックアウトし、タウンジーへ向かう。
その途中で遺跡によるが、そこでA女史がかっこいい行動に出る。 欧米人のグループが先に来ていたが、一人のおじいさんが大理石 (水で濡れていた)で転倒。少し動けずにいたらしい。 それをすぐに察知したA女史が彼にかけより、すぐさま手に入った 石を除去。‘彼のツアーガイドもしくは奥さんはいないの?’ というようなニュアンスで叫びつつ。 (結局ガイド達は来たけど見てるだけでした。) Iさんが救急道具をお持ちだったので、それを使いながら丁寧に ケアを行う。 O野さんがそれを見て‘さすがだなぁ、かっこいいな、Aさん。’ と。ほんとそうだと思う。私は見ているだけでした。 ここでは、またもや日本のバスをたくさん発見。 ![]() |
ミャンマー7日目
2006 / 12 / 16 ( Sat ) |
ミャンマー6日目<Part3>
2006 / 12 / 15 ( Fri ) 6日目の最後はA女史のかわいらしいエピソードを。
実は今までの日程でもそうだったのですが、A女史は 私達が食べる食事のチェックをかなり厳しくしてくれ ています。 レストランやホテルでも遠慮なく食堂の中などに入り チェックチェック。時には自分で食器をミネラルウォー ターで洗うほど。食事のレシピも指導することもあり。 で、今回泊まったニャウンシェのホテルでも同じ。 私達がテーブルについてもなかなか厨房から戻って きません。 私が調子悪いということで、ラーメンをオーダーして くれたのですが、その指導かな、と思ってたのですが。 (それもしてくれていたのですけどね。) |
ミャンマー6日目<Part2>
2006 / 12 / 14 ( Thu ) |
ミャンマー6日目
2006 / 12 / 14 ( Thu ) この日は前日の分も取り戻すべく?たくさん写真も撮ったので
3回に分けるかもしれません。 昨日Dr.T氏からいただいた薬が効いたのか、調子は落ち着いて きたので、今日は朝から出かける。 (早朝撮影は辞退) 毎日マーケットの場所がインレーではかわるのですが、今日の は運良く昨日よりも大きいマーケットでした。 ![]() 旅行会社の舟が押し合いへし合いしながら、陸地に舟をつけよう としてるのでこうなります。 マーケットを散策。 ![]() 散発屋さん発見。 ![]() みんなで真剣な様子。 ![]() タイヤでできたサンダルです。 ![]() 油を精製しているところでしょうか。 そして本邦初公開!私の撮影姿です。闘鶏を撮ろうとなんとも 間抜けな姿です。大野さんに撮っていただきました。 (一部ぼやかしてすいません。) ![]() |
ミャンマー5日目<Part2>
2006 / 12 / 13 ( Wed ) 朝の撮影をしている時に、実はお腹が微妙に痛くなり。
8時半出発のマーケット巡りに行かないことにした。 実は関西からお越しのAさんはもっと調子悪く。 たまたまその日はホテルのオーバーブッキングの関係で 関西のお二人と相部屋になることが決まったので、 その移動をしたりして時間を潰す。 皆さんがマーケットから帰ってくる。見るとO嶋さんと 大野さんが民族衣装を着ていた。どうやら購入したらしい。 O嶋さんはさまに非常になっているのだけど、大野さんは 下のロンジーがずり落ちそうでなんだか笑える。 午後、ホテルのレストラン(ここは舟で移動しないといけ ない)に移る。少し控え目に食事をするが、体調がさらに 悪化する。腹下し。午後の観光もキャンセル。 余談:このレストランまでDr.Tはゴムボートで行きました。 漕ぎ手は舟のベテラン船頭さん。Dr.T氏は漕がずになすが まま。でも、快適だったようです。‘次どう?乗ってき ます?’と聞かれましたが、この間のトラウマで遠慮しま した。 |
ミャンマー5日目
2006 / 12 / 12 ( Tue ) 初めて朝6時撮影に参加しました!
写真家の3人は今までも朝から撮影に励んでおられたのですが、 大野さんから‘いいの?本当に行かないの?’と言われても ‘無理です。’とか‘朝飯食べたいので。’とか言ってやって おりませんでした。 でも、今日は珍しく参加。 心配していたO嶋さんはちゃんと朝来て‘完全復活!’とか 言って同じく参加。 小舟にて近くの村へ。 船着場につくと、皆さんと集合時間を決めて解散。 私はなるべく皆と同じ場所に行かないように、時間をずらして 行動することに。 ここは家と家の間ですら下手したら舟を使わなくてはいけない という立地で。 何か自分の好みの被写体がないかと思っていたら、子供発見! |
ミャンマー4日目<Part2>
2006 / 12 / 12 ( Tue ) |
ミャンマー4日目
2006 / 12 / 12 ( Tue ) ![]() 朝早くにバガンホテルを出発し、バガンーヘイホーへ。 7時にこの空港で一昨日会った学生さん達と合流する予定 だったので、大丈夫だろうかと皆で話していた。 (前日にA女史がホテルに到着しているか確認したところ、 夜の時点でまだ到着していなかった) しかし爽やかな表情で女子大生達登場。 どうにか乗り合いバスを乗り継いでニャウンシェまで到着 したらしい。良かったX2 バスでとある学校へ向かう。 そこはある日本の団体が寄付をして作った学校だった。 そこで、子供達と交流。 ![]() そこで何故か私は置いていかれる。‘新しい就職場所決まって よかったね。’と。 そこでは稲刈り?などが行われていたので、撮影。 ![]() ここの村も素朴な感じでよかったです。 ![]() |
ミャンマー3日目<Part2>
2006 / 12 / 11 ( Mon ) マーケット後、写真家3人も加わりポッパ山の方へ向かう。
ポッパ山のふもとの村に大野さんとO野さんを置いていく。 (彼らは去年ポッパ山に登っているので今回はなし) ポッパ山は天空の城ラピュタの元と一部で言われている所で、 火山の爆発でできた山と言われている。 火山爆発後、急激に冷めた石の中は空洞となり、振るとカラ カラと音がするものがある。それを子供達が売っている。 私達はいらない、と拒否していたが、A女史が皆の分買って くれる。 (O嶋さんはその場にある石を拾って‘ポッパポッパ’と言 いながら子供達をからかってました。) ポッパ山にいざ登ると、想像していたよりもきつかった。 猿が多い、とは聞いていたのですが、それも予想以上。 (私達は昼間登りましたが、夕方は飢えた猿が増えて怖い かも、とはDr.T氏談) ![]() フンやオシッコも床に垂れ流しで、靴を脱いで歩かないと いけないので、気にしないといけないし。 ちなみに、Dr.T氏に運がつきました。 一番軽々と登ったのはO嶋氏。私が一番若手なのに、ぜんそく 気味になり、情けない。関西のAさんは途中で断念されていま した、それもありでしょう。 Dr.T氏曰く、‘登るのは1回だけでいい、と誰もが思う’と のこと。私も遠くから見るだけでいいです。 ![]() これは登っている途中にあったたばこ屋さん ![]() 大野さんから物売りがしつこい、と聞いていましたが、今回は そのようなことはありませんでした。暇だからあきらめてる のかこの写真の二人も店前にいました。 |
ミャンマー3日目
2006 / 12 / 11 ( Mon ) 早朝、写真家の3名は自転車でバガン遺跡めぐりを決行。
(ガイド付き) 私はそれには参加せず、ゆっくり朝食。 朝食をとる野外のレストランから見る風景はまるで絵画の ようで見とれる。 このホテルは11世紀の遺跡の中にたっていたりします。 そこでDr.TとA女史と朝食。食事の中にはもち米もあった ようです。食べればよかった。 その後レストランから絵画のような川べりに降りていける というので一人で行こうとするが。 野犬に遭遇する。しかも私に向かって突進してくる。昨日の O嶋さんの話で‘狂犬病’というのが頭をよぎり、とっさに A女史からもらったバッグでガード。見事にそのバッグに飛び かかってきました。しかも何度も。 半べそかきながらどうにか振り払いました。 犬、恐るべし。 |
ミャンマー2日目<Part2>
2006 / 12 / 11 ( Mon ) アーナンダー寺院の後、昼ごはん。
サラバーというところだと思う。(ガイドブックにも載って ました)何かはほとんど忘れたが、味はおいしかった。 食事後、先ほどの女子大生達が同じ店に入る。 Dr.Tが夕食を一緒にどうかと誘う。 漆塗りのお店に行く。大野さんが去年行った店を希望して いたのだが、そこではなく悲しがっていた。 そこで、噂のO野さんの撮影スタイルを目の当たりにする。 一人の被写体に対して30分くらいだろうか。私達がぐるり と店内を見終わってもまだ同じ場所で驚いた。 モデルの女性は途中困ったような顔をしていたのが目につい た。すると、欧米人のグループが何やらO野さんを見て言って おり、O野さんと彼らの会話が始まる。 どうも、‘君達は一体何者なのか’と聞いていたようだ。 O野さんはスペイン語ができるので、それで会話をされたよう です。 その後、大野さんの希望の漆塗りの工房へ。 私はオーナーのおじさんとつたない英語で話し込む。 (といってもおじさんのおしゃべりを聞く側でした。) 親戚に伊藤忠で働いている方がいるらしく、何度か日本にも 行っているらしい。関西の明石の方にも行ったりしている のでなかなかの通でしょうね。 彼の写真を撮らせてもらう。 |
ミャンマー2日目
2006 / 12 / 10 ( Sun ) デジカメで写真を撮っていないため、文章のみで失礼します。
ヤンゴンからバガンへ飛行機(エアーマンダレー)にて移動。 ミャンマーでは同じ国内でもパスポートのチェックなどが 空港で必要になるらしいが、A女史の計らいで私達は難なく通過。 バスに乗り込み、シュエズィー・ゴオン・バヤーへ。 ガイドブックでよく見るような金色の仏塔がそこにあった。 私は半ズボンのいでたちで、入れるか不安だったが、案の定 止められる。そこでロンジーを貸していただく。(結局気に入り 後ほど3000チャットで購入。A女史の値切りあり。) その場には物売りが多く、前回もミャンマーに来た大野さんが ショックを受ける。‘去年はこんなのいなかった!!’ 1年で変わるものなんですね。 その後、名前はわからないが、壁画が描かれている遺跡へ。 ここは撮影禁止だった。これまた大野氏ショックを受ける。 ‘撮影できない場所なんて去年はなかった!’Dr.T氏曰く、 ‘ここは去年もだめでしたよ。’ 壁画ではモンゴル人が描かれているらしいが、それはここだけ とのこと。 この壁画近くに住居というか寺院?があり、そこで撮影を させてもらう。寺院ではお経が唱えられ、ミャンマー人が たくさんいた。 次はアーナンダ寺院へ |
ミャンマー1日目
2006 / 12 / 09 ( Sat ) ミャンマーはツアーでの旅行でした。
写真仲間の大野さん、写真家として世界を旅するO野さん、 そして雑誌などでも活躍されている写真家O嶋さん、 関西から参加のAさんIさん、ガイドはDr.Tとミャンマー のA女史。 そうそうたるメンバーでして、はたしてどんな旅行になるか 心配の方が大きかったです。 しかしそれは懸念にすぎませんでした。 とても楽しい旅行におかげさまでなりました。 |
どうしたものか
2006 / 12 / 09 ( Sat ) 旅行から帰ってきました。
久々の長旅です(3週間)。 ミャンマー→バンコク→マレーシア→シンガポール→マレーシア →バンコク→日本 というよくわからない旅です。 しかし、ブログでどこまで書いていいか悩み中です。 ミャンマーはツアーなので、一番悩んでいます。 でも記憶がなくなる前に書いていきたいと思います。。 ![]() (しかし、9月・10月の国内旅行もまだだ。。) |
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